無垢の花/明け烏さん




「兄ちゃん、おおきにな。」

と、明里が馬上から沖田総司に笑いかけた。

手綱を握っている山南も振り返って後から付いてくる彼に微笑む。

二人の微笑は微妙に似通い、沖田を戸惑わせた。



 大津からの帰り道だった。

早朝の街道を京へと向っている。

昨日の夕暮れに大津のはずれで脱走したはずの山南敬助に追いついてしまっ

た不運を沖田は今も抱えて、このまま二人が馬に乗って自分の前からいなくな

ってくれればどれだけほっとするだろうかと、口をついて出てしまいそうな言葉

を辛うじて飲み込んだ。

明里は知らないのだ。

今引き返すこの京への道行きが、山南にとってどういう意味を持つものか。

「なんやお嫁さんになったみたいや。」

明里が明るい声で青空を仰ぐ。

「そやかて、せんせいはうちを身受けしてくれはったんやろ。そしたらうちはせ

んせいのもんやもの。あっ、せやけど身分違いやなぁ。ええわ、うち。せんせい

のそばに居れるんやったら、女中でもなんでもかまへんし。なぁ、邪魔にな
らん

ようにするし、お傍に居ってもええやろ。」

明里の願いは、ささやかでありながらとても叶えてやれないもので、降り注ぐ春

日のような声に山南は俯いて応えを返せずにいる。

「なぁせんせい。いっしょに丹波へ行ってくれはったら、うち、なんでもするし。」

「ああ、だけど夕べ言っただろう。今は私は行けない。後から行くから先に帰り

なさい。」

明里の問いかけの応えになるようなならないような、曖昧な山南の返事を背

後からついて歩きながら、聞いている沖田のほうが苦しくなる。

明里はなにも知らされていない。

山南の決意を、彼女が知ればどうなるだろう。

山南の背中へ、もう一度江戸へ二人で逃れてくれと、意を決した沖田が声をか

けようとしたときだった。

「せんせい、あそこ!昨日教えてくれはった花の名、何やったっけ。」

無邪気な歓声を上げて明里が指差す先、そこには朝日を受けて煌くように咲い

た水仙の群落がある。

「降ろして。」

山南は背後を振り返って(いいだろうか)と、沖田に目線を投げた。

微かに頷きを返すと、山南はやはり目だけで済まぬと言う。

「昨日も綺麗やったけど、今朝のほうがもっと綺麗や。」

山南の手を取って花の中に立つ明里の嬉しそうな笑顔が、朝日にきらきらと輝

いて見える。

 山南は清しく咲いた水仙の一群を、これほど綺麗なものがあっただろうかとい

う驚きで見つめた。野に咲く花になど、これまで心を留めたことなどあっただろ

うか。花を摘み、自分に差し出す明里がそこにいる。

今日にも自分の生命はこの世から消えてなくなろう。その前に目にすることの

できた美しい世界を、彼は神からの賜り物だと思った。

女を心底好いたという記憶はこれまでなかった。

今、山南は明里が、打ち震えるほどに愛しかった。

「せんせい、菜の花やのうて・・・水仙、水仙やろ。」

「そう、水仙の花だ。」

「せんせいに似てる。」

摘んだ花を差し出す明里の手を取って、山南は沖田が居ることも忘れて明里を

抱き寄せた。腕の中で弾む明里がそっと呟く。

「夢みたいやなぁ。」




二人から離れたところで、沖田はなぜ山南が明里と二人でいたのかを、言葉

にはできないがわかったように思った。

彼女の決して策を弄することを知らぬ純粋さ、一途さは誰も叶う者はいない。ど

れほど泥に塗れようとも、明里の心は汚れることはなかろう。柔軟な心は、そ

れでいながら凛としたものを住まわせて山南敬助に寄り添っている。

春の訪れを告げる陽光の中にいる二人の姿が、清らかな逆光を受けて沖田の

滲んできた涙の中で霞む。

「なんなんだよ、あの二人・・・・人の前で・・・・見てらんないよ・・・・」

自分への言い訳のように、沖田は曇る視界を手で覆った。



                                         ― 了 ―



「流歌」の明け烏さんから頂いてきました。
大河「新選組!」33話に触発されて書かれた帰り道の情景です。
いつもオリジナル設定で書かれている明け烏さんにしては珍しいお作ですが
山南さんも明里さんも沖田さんも、自然に役者さんの表情と声が浮かんできて、
またじんわり涙目になってしまいました(;;)二人で富士山見せてあげたかった・・・。

明け烏さん、ほんとにありがとうございましたm(_ _)m