覚え書き
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米田圭次郎ってトミー?(2003.11.23.)
読むとはなしに「新選組紀行」をパラパラと見ていて目に止まった一文がありました。
>永倉や原田はかつての剣士仲間を誘って旧幕府歩兵頭取米田圭次郎の部隊に合流、(以下略)
永倉&原田が近藤と袂を分かち、靖兵隊を組織した辺りの記述ですが、浪士文久報国記事では
>直二歩兵頭取米田桂治朗ノ組下二相成
と少し漢字が違います。まあ字の違いは良くある事なので置いときますが、ここで出てくる米田圭次郎が問題なんです。今までほとんど読み流していた名前ですが、もしかして万延元年(1860年)の遣米使節に通詞見習で同行していたトミーこと立石斧次郎だったりするんでしょうか?

まず、立石斧次郎について。遣米使節には叔父で養父の立石得十朗(オランダ語通詞)と共に参加してまして、当時16才で英語の吸収も早く、物おじしないキャラクターのため、アメリカ人の船員にも可愛がられたとか。得十朗さんが彼の事を幼名の為八から「為」と呼ぶのをアメリカ人が「トミー」と聞き間違えた事からこのニックネームがついたともいいます。アメリカへ着いてからもトミーは大人気で後に「トミー・ポルカ」という歌ができたぐらい騒がれました。あんまりはしゃぎ過ぎて小栗や養父に怒られ、向うの新聞に「ハラキリか」等と書かれた事もあり。(正月NHKの小栗のドラマでもちょこっと出てきてますよ〜。船の上で赤い首巻きを巻いてたのが多分トミーのはず。)
そして帰国後、トミーはハリスの通訳や外国方での翻訳、英語塾やらしてたんですけど、第二次長州征伐(四境戦争)にも従軍。この頃には米田桂次郎と名を変えており、幕府脱走軍にも実兄の小花和重太郎と共に伝習隊の半大隊長(中隊長)として参加し、大鳥軍に加わった事を後年まで誇らし気に語っていたそうです。

靖兵隊が和田倉門内の会津屋敷から行を共にしていた第七連隊の隊長も調べると米田敬次郎とか米田桂次郎と書かれてて、ここまでくると同一人物っぽいんですが、引っ掛かる点が一つ。
歩兵第七連隊は伝習隊とは厳密には別なんです。
幕府脱走歩兵を全部ひっくるめて伝習隊と表現しているものもありますが、中核を占めるのは大手前の伝習第一大隊約700人、小川町の伝習第二大隊の約600人で鴻之台から進発した前軍と中軍に分かれています。「君はトミー・ポルカを聴いたか」に書かれている伝習隊の半大隊長、約300人を指揮って書き方からするとこのどちらかの半隊にあたると思われます。歩兵第七連隊約350人は後軍で別なんですね。
しかし、中軍(伝習第二大隊)と後軍は大鳥がまとめて面倒見るよ状態なんで、ごっちゃになってる可能性も無きにしもあらず。やはり同一人物なのか、それとも「米田けいじろう」が二人いたのか・・・。箱館までトミーが行ってればもっと資料に名前が残ってるのでしょうが、仙台から武器の買い付けにヘンリー・シュネルと上海に渡り偶然に会った旧知の渋沢栄一に説得され戦線を離れてるためか、名前がなかなか拾えません。

○参考:「君はトミー・ポルカを聴いたか」(風媒社・赤塚行雄/著)、「新選組戦場日記」(PHP研究所・木村幸比古/編著・訳)、「新選組紀行」(文春新書・中村彰彦/著)他