蝦夷の夢/りかさん



火鉢にかけた薬缶がシュンシュンと音を立てる。
炬燵布団の縁から、モゾモゾ顔を出した猫がフワアとあくびをした。

この日土方は、箱館奉行並の中島三郎助に誘われ、雪道を馬で千代ヶ丘陣屋までやって
きていた。出された茶を飲む土方の向かいに、中島。隣には従ってきた隊士の森常吉が
いて、それぞれ筆を手に歌作にいそしんでいる。



元浦賀奉行組与力の中島は幕府きっての才人で、かのペリー来航時には副奉行としてその
応対にあたり、後、軍艦操練教授方出役等、幕府海軍要職を歴任した。戊辰戦争以後は、
長男恒太郎、次男英次郎と、その人柄を慕い同行を望んだ元浦賀奉行組の同志らとともに、
幕府に冤罪を負わしめた薩長に一矢報いんがため榎本武揚率いる旧幕艦隊に同乗し極寒の
蝦夷にまで渡った、誠忠無比。気骨の人である。


片や森は元伊勢桑名藩の藩士で、横目、使番、大目付、公用人と要職を歴任。藩主・松平
定敬の京都所司代就任の際にはその公用人に抜擢され、京においてその才能を遺憾なく
発揮した。新撰組は、定敬の実兄・会津藩主松平容保お預かり組織である。自然、土方とも
京にいた頃から面識があり、蝦夷渡航の折はその縁を頼って、己同様、定敬への同行を望む
藩士17名とともに隊士として入隊したと、…こういった経緯であった。



「ヤア!できた。」

「どれどれ。」

大仰に上がった森の声に、クスクスと笑いつつ、中島がその手の中の紙を覗き込む。

「…はるばると遠き海山たどり来て 雪路にまよう函館のせき。…ふむ。ナカナカ。」

「ヘタですな。」

すかさず受けた土方に、目を白黒させた森を見て、傍らに侍っていた者らからどっと笑いが
起こる。


「いや、しかし味はある。」

「要は、ヘタということですな。」

シラッとまぜっかえした土方に、また、わっと笑声が上がった。


「ふ、ぐぐぐ…。」

ヘタはヘタなりに、ヘタの横好きで内心、歌作には自信があったのだろう。
森は悔しげに歯軋りしていたが、

「できた。」

と呟いた土方に、バッと身を乗り出し、その手元を覗き込んだ。

「なになに?…冴ゆるまに渡りゆくかよ寒の鳥 高き声にもこたえしはなし。」

「…………。」

読んだっきり目を閉じて眉をしかめた森に、

「…なんだよ。」

たまらず土方が声をかける。それに、森は深く頭を垂れると、同じほど伸ばした声で
大げさに感想を洩らした。


「〜〜〜〜〜……ヘタですな!」

「うるせえっ!」

ガンッと炬燵の下、土方の蹴りが飛ぶ。
途端、「オウ?!」と森が仰け反るのを認めて、中島のみならず周りからもワッと
笑みが弾けた。



「…いやはや。仲がよろしいことで。」

ハハと笑いつつも、合間に中島はコンコンと咳を洩らす。
…元がいくらか蒲柳の質の男である。少し前まで引いていた風邪が治ったからと呼ばれ、
今日は半ばその祝いを兼ねた訪れだったのだが。


「日を変えたほうが良かったですか。」

にわかに表情を改め案じ顔で聞いた土方と森に、顔前で手を振り中島は笑った。

「いやいや、どうかお気遣いなく。年を取ったせいか、どうにも身体がいうことを
きかぬ日が多いのだが、今日はこれでもずいぶんと良い。…たいしたことはないのです。
それよりも、そのせいでせっかくの集まりがお開きになってしまうことのほうがつらい。」


「いや、あなたさえよければいつまでも居ますが…。」

「まこと!まこと!ここは居心地がよろしい!」

そんな、気遣いもあらわに言葉を交し合う彼らの間に、ふと、遠慮がちにひとりの男が
分け入ってきた。


「…お奉行、これを。」

そう言って中島に男が差し出したのは、生姜湯。

「皆様方もどうぞ。」

勧められたそれを、礼を言うとふたりは受け取った。

「ヤア!これは良い!これを飲めば、病の方が恐れをなして逃げようというもの!」

「ああ、良い香りですな。」

ふうふうと口に含めば、チリリと舌にしみわたる生姜の芳香。
口々に褒めそやしつつ、土方と森は熱い生姜湯に舌鼓を打った。



ドサリ。

屋根から雪が落ちたのか、表から篭もった音がする。
それぞれに無言で彼らは煙草を吹かしていたが、それをきっかけにしたようにふと、
森が口を開いた。


「…そういえば、先日の長島の言葉は良かったですな。土方先生。」

「ン?」

「なんですかな?」

微笑み首を傾げた中島に、大きく笑みを浮かべると森は身振り手振りを交えつつ、
先途、隊の長島五郎作が言った言葉を披露した。


「これが、なかなか愉快な話でして、…。」


「…ほう。土方さんを担いで大陸にね。」

「子供の戯言です。」

そう言って恥ずかしそうに頬を押さえた土方に、「いや」と呟くと、

「痛快ですな!それは。そのときには私もご一緒させていただきたいものだ。」

と、中島は楽しげに呵呵と笑う。途端、

「それじゃあ、おれたちはお奉行を担いで海賊にでもなるか!」

合わせて、そう、周りにいた中島の部下たちが弾んだ声を上げた。

「いいな!」

「船は海軍のやつらのを奪えば良い!」

「お奉行がおられるのだ!なに、操船の腕でやつらに負けるものかよ!」

「おう!」


…夢というのは、良いものだ。


「ハッハハ!愉快!愉快!!」

てんでメチャクチャな話の盛り上がりように、囃し立てるが如く手を叩きながら、
一際大きな声で森が笑った。





―――明治2年5月11日、後方で指揮を執るところを狙撃され、土方歳三は戦死する。
享年35。


その5日後、新政府軍よりの恭順勧告を拒絶し、中島三郎助とその子恒太郎、英次郎、
元浦賀奉行組同志ら、ことごとく討ち死に。


ひとり森のみは生き残ったが、これも、旧桑名藩の咎を一身に背負い、11月13日、
深川入船町にある旧藩邸にて切腹して果てた。





砲火に晒され焼け野原となった千代ヶ丘陣屋跡に、蝦夷の短い夏は青々とした草を繁らせたが、
それはまだ、しばらく後の話。


今は閉ざされた雪の中、つわものたちはあたたかな夢を食む。





「RIKA LAND」さんの30000ヒットを踏んでりかさんにリクエストさせてもらいました。
「箱館話で島田魁や中島登もしくは大野右仲や森常吉が出てくるようなの」という華のない地味なリクエストにも関わらずじんわり来る話を頂けて幸せです。蝦夷地でのこういう何気ない話って好きなんすよね。
しかも森さんだけでなく中島さんまで登場してて、三人が歌会してるなんてすごいツボ(><)ちょこちょこ中島さんで騒いでたのご存じだったのやら?
あ、「冴えゆるまに-」は歌とかよう分かってない私の作なので、「ヘタですな」は濡れ衣です(笑)どうせ贋作作るならもっとマシなもん作れってどやされそう。

りかさん、ほんとにありがとうございましたm(_ _)m