げんまん/nekoさん

総司は屯所の門からそうっと外を覗いた。

きょろきょろと辺りを見回して、『異常なし』と頷いて、庭で待機している隊士達に声をかけようとした矢先だった。
「わあ〜!お兄ちゃんだ〜。」
「あ、沖田のお兄ちゃんだ。」
「見いつけた〜〜!」
元気のいい子供達の声が聞こえ、わあっと歓声があがった。
ーーーーーしまった。
と思って首を引っ込めようとしたが、もう間に合わなかった。子供達は真しっぐらに駆けてきて、子犬のように総司に飛びついてきた。
「お兄ちゃん、なあ・・遊んでやあ。」
「先からの約束やったし・・・」
「うん・・・あのな・・」
総司が頭を掻いて、
「お兄ちゃん、これからお仕事なんだ。」
と、言うと子供達からわあっと口々に抗議の声が出た。
「そやかて、この間もそう言わはった。この次ねって」
「今日は非番やから、遊ぼうなって言わはったやん。」
「そうや、そうや。」
子供達は総司の腕を掴んだり、羽織の裾を掴んだりしてこのまま放してくれそうもなかった。
「悪いな。急なご用ができちゃったんだ。」
「独楽回し・・してえなあ。」
「あたいは、あやとり・・・」
「ごめん、ごめん。後できっと遊ぼうな。」
総司がひとりひとりの子供の頭を撫でながら謝っていると、
「沖田さ〜ん。そろそろ出動ですよ。」
と、庭で待機していた隊士の一人が見かねて声をかけてきた。

他の隊士達はにやにや笑いながら見ている。剣をとったら鬼のように強い若い隊長が子供相手に心底困っている様子がおかしくてならないようだった。
「ホントにごめんな。後できっとだから・・・」
総司が両手を合わせて、頭を下げると、子供達も仕方ないと悟ったのか、年嵩の男の子が
「そんなら、げんまんやで!」
と言い出した。
「げんまん??」
総司が目を丸くすると、男の子は得意そうに頷いた。
「うん。指切り、げんまんや。」 
「ああ・・指切りげんまんか。」
「そや、うそついたら、針千本飲まそ・・・やで!」
「ははは・・針千本、そりゃ・・・困るな。」
「だから、げんまんやで。」
「よし、げんまんしよう!」
総司は勢いよく小指を突き出した。子供達は次々と小さな小指を総司の小指に絡めてきた。そして、幼気な小さな指に力を込める。
「ゆびきり、げんまん
うそついたら、針千本、飲まそ。
指切った。」

来たときと同じように子供達は歓声をあげて駆けていった。

**********

総司が目を覚ましたのは、自室の布団の中だった。

心配そうにのぞき込む土方の視線に気付いて慌てて半身を起こそうとして軽い眩暈を感じた。土方が
「総司・・・寝てなきゃだめだ。」
少し怖い顔をして総司の身体を支えて、そっと布団に横たわらせた。総司はふうっと大きなため息をついた。


旅籠に潜んでいた浪士達との戦闘はそう長い時間ではなかった。あらかたの浪士は捕縛して、屯所に引き上げようとした時だった。

総司はいきなり喩えようもないような不快感に襲われた。胸がむかむかして立っていられなくなっていた。足下が大きく揺らぎ、自分の身体が不安定に揺れ、そのまま闇の中に吸い込まれていくようだった。誰かがあわてて総司を抱き留めてくれたのが最後覚えていた記憶だった。


体調が思わしくなかったのは、自分でもよく分かっていた。しかし、無様に昏倒してしまったことが情けなかった。
「すまねえ。無理をさせていたのは、分かっていたのに・・・」
土方に謝られると、よけい惨めな気がした。胸に病を持っていても「誰にも負けない働きをしてみせる。」その意気込みが、総司の支えだったのだ。

禁門の変の後、長州系の浪士の跋扈がすさまじく、新選組はその取り締まりにおわれていた。総司も非番を返上して休む間もなく市中取り締まりに駆け回っていたのだ。疲労が重なっていたのは、分かっていた。
「謝らないでください。私は大丈夫です。」
「これ以上無理はさせられねえ。しばらくは隊務を休んで休養を取るんだ。」
「そんなこと・・・この忙しいときに・・・寝てなんかいられません。もう・・本当に大丈夫ですから・・・明日だって出動できます。」
そう言った総司の顔に疲労感が色濃く浮かんでいるのに気付いて、土方は首を振った。
「少し熱もあるようだ。」
土方はそっと総司の額に手を伸ばした。その手を総司は軽く払って、
「止めてください。熱なんてありません。」
再び起きあがろうとしてうめいた。自分の身体が自分のものでないような不安定な感じだった。
「馬鹿!休めというのは、副長命令だ。」
「土方さん!そんな横暴な・・」
総司が頬を膨らませたとき、障子ががらりと開いて、井上源三郎が姿を現した。手に薬湯の入った湯飲みを大事そうにかかえていた。
「なにを二人で、痴話喧嘩してるんだ?」
のんびりした口調は年よりもずっと井上を老けてみせた。
「痴話喧嘩・・・」
その言葉に総司と土方と思わず顔を見合わせて、恥ずかしそうに笑った。
「じゃあ・・・源さん、このだだっ子のことは頼みましたよ。」
土方はそう言うと、
「だだっ子ってなんですか!」
総司の文句も聞こえないふりをしてさっさと部屋から出ていった。

「あれで、歳さんはお前のことを人一倍心配しているんじゃよ。」
「それは・・・分かっていますけど・・・」
総司は口惜しそうに唇を噛みしめた。気持ちばかりあせっても自由にならない自分の身体をもてあましていた。
「これを飲んで・・・はやく元気にならねえとな。」
井上は総司の身体をそっと起こして、湯飲みを手渡した。
「薬なんて必要ないのに・・・・」
文句を言いながら、しぶしぶ総司が薬湯を飲み干すのをじっと見ている。飲み終えた湯飲みを渡すと、井上は満足そうに頷いた。これが、土方から頼まれた大事な役目だったのだ。


総司を寝かせると、井上は布団を肩まで引き上げてやった。それから、まるで幼子にするように布団の上からぽんぽんと総司の肩を叩いた。
「お前が元気になるのを待っているのは、わしらだけじゃないぞ。」
「え?」
「げんまんしたんだろ」
「え?」
「さっき屯所の門のところに、お前の遊び友達が来て、『沖田のおにいちゃんと遊ぶ約束をしてたんだ。指切りげんまんしたんだよ』って言ってたぞ。」
「ああ・・そう言えば・・・指切りしたんだった。」
「はやく元気になって、あの子達との約束を果たさなきゃな。」
という井上の言葉に総司は悪戯っぽく笑った。
「あはっ・・・稽古さぼって遊んでも、許してくれるんですね。」
「仕方ねえなあ。お前が元気になってくれたらな。」
そう言って井上は穏やかに微笑んだ。

稽古を抜け出して、近所の子達と遊んでいると、
「総司、稽古の時間だぞ。」
と決まってむかえにくるのが、この井上だったのである。
「少し眠った方がいいぞ。」
とそう言い残して井上はそっと部屋を出ていった。

**********

「げんまん・・・かあ・・」
総司は布団の中から手を出して、自分の小指を見つめた。この指に小さな指を絡ませた幼子の可愛い指の感触を思い出していた。

その時ふっと遠い昔の記憶が総司の脳裏をかすめた。
「あれは・・・」
誰の指だったのだろう。と、総司は考えていた。白くて、細くて、温かいあの指は・・・優しく総司の小指にからませたあの指は・・・
総司は目を閉じて、遠い日の記憶の糸を手繰り寄せていた。


総司がまだ、宗次郎と呼ばれていた頃・・・まだ、試衛館にも入門していない幼い頃。

早世した父母と体質が似ていたのか、もともと宗次郎は蒲柳の質だったようだ。幼い頃、宗次郎はよく熱を出して寝込むことが多かったのだ。熱があってもじっと寝ているのがいやで、外に出たいとか遊びたいとかだだをこねては周りの者を困らせていたという。
「宗次郎・・・はやく元気になるんですよ。元気になったら・・・」
と、懐かしいその人は
「お外に行きましょうね。」とか「川遊びに行きましょうね。」とか優しく宗次郎を慰めた。そんな時、決まって宗次郎はその人と指切りの約束をしたのだった。その指切りの約束はまるでおまじないのように効き目があった。程なくして宗次郎は元気を取り戻していたのだ。

あの指切りげんまんをしてくれた指は誰のものだったのだろう。お光ねえさんのものだったのだろうか。それとも、顔も覚えていない亡き母のものだったのだろうか。忘れていた幼い日の懐かしい思いが鮮やかによみがえってきた。

その思いは、甘く切なく、総司の胸をくすぐった。



総司は自分の小指と小指を絡めてみた。
「指切りげんまんしたんだものな。きっと・・・元気になる。」
総司は自分に言い聞かせるようにそう呟いていた。



うとうとと微睡みはじめた総司の耳に遠い日の懐かしい声が聞こえた気がした。

「早くよくなるのよ。宗次郎。」
「うん。」
「よくなったらお外で雪うさぎを作りましょうね。」
「ほんと、指切りだよ。」
「ええ・・・指切りしましょう。」

ゆびきり、げんまん
うそつたら、針千本飲まそ。
指きった。


          完