溜息の理由 /ちゃちゃさん
 



 勇が笑うと、両の頬に笑窪が出来る。
 どうやらそれは、概ね厳ついという印象を与える顔の造作の中で、人を安心させるという役割を一手に引き受けているらしい。
 今も、「解った」と勇が頷き、その頬に笑窪を作ると、目の前の男は、ほっとしたようにその体から力を抜いた。

 道場からは、威勢の良い掛け声と打ち合う木刀の音が聞こえてくる。
「まあ、気が向いたら、また来れば良い。」
その言葉に男は、へぇっ、と額を畳にこすり付けんばかりに頭を下げたが、しかし、もう二度とは来ないだろうことは、勇にも容易に想像がつく。
 そそくさと出てゆく男を見送る間勇の頬にあった笑窪は、男の姿が視界から消えると同時に消えた。
──ふぅ。
 代わって出て来たのは、なんとも不景気な溜息だった。
 今月に入って、もう3人目。もともと多いとは言えない門弟は、この春から減る一方で、このままでは道場は立ち行かない。
 理由は、わかっている。
 稽古が厳しすぎるのだ。
 
 この春、勇は道場を継いだ。
 正式な襲名披露こそ、先へと延ばしはしたものの、養父の周助はすっかり楽隠居を決め込んだ体で、今日はどこそこで講談を聞くだの、明日は碁を打ちに行くだのと忙しい。
 そして、勇は実質的に道場主となったのだから、ということで十八になったばかりの沖田宗次郎を塾頭へと引き上げた。
 年こそ若いが、腕前に不足はない。が、この沖田の稽古には容赦がない。
 幼い頃から内弟子として育った沖田にとって、稽古とはそういうものなのだろう。手心を加えるということを知らない。
 なるほど、剣の道は厳しいものだが、実のところ町道場に稽古に来るもの皆が、剣の道を志しているわけではない。
 商売に励む傍ら、己の身とささやかな財産を守るために、やっとうでも習っておくか・・・そんなつもりで来るものも大勢いるのだ。
 それが、稽古で足腰が立たなくなってしまっては、本末転倒である。
 しかし、そのことをまだ若い宗次郎にあけすけに語るのは、どうにも気が引ける。熱心に稽古をつけるのは良いことだが、そのあたりの機敏を察しろ、とそれとなく伝えるにはどうしたらよいものか。

──どこかに世知に長けた人物はいないだろうか・・・。
 と、そこまで考えて、ふと勇は破顔した。
 ぴったりな人物がいるではないか。
 今、7人目だか8人目だかの歳若い妻を傍に置き、すっかり楽隠居を決め込んでいる体のある義父、周助だ。
 若い頃は商売もし、その傍ら剣を教え、やがて天然理心流の道統を継ぎ、ついには江戸に道場を構えた。
 人生、酸いも甘いも知り尽くした周助ならば、上手い言いようもあろう。
 しかも、宗次郎にとって周助は師である。
 善は急げ、とばかりに勇はいそいそと、周助の居室に向かった。


 が・・・。
 「いかん、いかん。」
 周助は、勇の話を途中で遮るようにかぶりを振った。
 「いかんぞ。あれには余計なことは言うな。」
 あれ、とは宗次郎のことである。
 「いや、しかし・・・。」
 反論を試みる勇に、周助は言った。
 「わしは、あれがかわいい。あいつの天分だけはまっすぐ伸ばしてやりたいんじゃ。道場の経営がどうだとかいうようなことで、型にはめたくない。」
 養父の言いたいことは、勇にもよくわかる。
 周助にとって、宗次郎は手塩にかけて育てた上げた弟子である。天与の才もさることながら、それ以上に幼い頃から手元に引き取って育てただけに肉親の情に近いものがあるのだろう。勇にとってもかわいい弟弟子であることに変わりはない。
 しかし、道場の経営を剣をまっすぐ伸ばすのに”余計なこと”と、言われてしまっては、それに心を砕かねばならぬ勇の立場がない。
 そんな勇の胸のうちを知ってか知らずか、周助は念を押すように言った。
 「お前も余計なことは言うなよ。なに、今はナリばかり大きくなったようなところがあるが、あれもじき大人になる。そんなことは自然にわかるようになるさ。」
 言いながら立ち上がると、ぽんと勇の肩を叩いた。
「頼りにしとるぞ。四代目。」

 さすがに周助は世慣れている。頼みごとをするはずが、逆に釘をさされてしまった格好の勇は溜息をついた。

 ──はぁ・・・。
と、大きな溜息を落としながら道場へ足を向けた。

 「どうした、勝ちゃん。不景気なツラして。」
 声を掛けてきたのは古い友人の歳三だった。未だに勝太と名乗っていたころのの愛称で勇を呼ぶ彼は、いつも前触れなく訪れる。
 「今、道場覘いて来たんだけど、エラく気合が入ってるな。散薬、空になっちまってたぜ。」
 また置いていこうか・・・と笑う歳三の顔を、しげしげと勇は見つめた。
 そうだ。歳三ならば、上手く言うのではないか・・・。
 なにしろ彼は、商家づとめの経験もあるし、今は行商をしながらあちこちの道場を訪ね歩いている。愛想もいい。自分などより、遥かにものの言いようというものを心得ているだろう。
 「歳、頼みがあるんだ。」
 有無を言わさず、自分の部屋へと引っ張り込んだ。


 「なんだ、なんだ・・・。」
 常にない勇の強引な様子に、歳三は目を白黒させた。
 そんな歳三をぐい、と押し付けるように座布団に座らせると
 「実は・・・。」
 と口を開いた。
 が、なんと言ったものか言葉が見つからない。まさか、歳三が周助と同じように断るとは思えないが、言葉は選ばなくてはならない。歳三の肩を掴んだ手に思わず力が入る。
 「その・・・。」
 口ごもる勇に、ふと歳三が笑った。

 「わかったよ、勝ちゃん。支払いのことなら気にするな。友達じゃねぇか。」
  心得たように歳三はにっこりと笑う。
──違うんだ。いや、それよりあれは売り物だったのか・・・???
 混乱する勇に追い討ちをかけるように歳三は言った。
 「あ、暮れにはきっちり払ってくれよ。いくら友達でもこういうことはキチっとしとかねぇとな。」

 「歳・・・。」
 そうじゃなくて・・・、言いかけた勇に、歳三が覆いかぶせるように言った。
 「気にすんな。気にすんな。この道場儲かってないんだろ。」
──そう。確かに儲かってない。だから・・・。
 勇が、ガクリと頷くと、逆に歳三は立ち上がって言った。 
 「じゃ、俺、もう一回道場覘いてくるわ。ついでに宗次のヤツにはっぱかけるとするか。」
 ガンガン散薬使わせなきゃな〜、などと呟きながら、背を見せる。
──それだけは、やめてくれ・・・。
 言葉を飲み込むと、勇は深い深い溜息をついた。
 自分に出来ぬことを、他人に頼もうというのがそもそも間違っていたのだ。
 いつまでもこの状況が続くとは限らないのだ。諦めるしかあるまいと、自分に言い聞かせる。


 道場からは、なおも元気のよい掛け声と、打ち合う木刀の音が聞こえる。
 それを聞きながら、勇は思う。
──あんまり、張り切ってくれるなよ。

 ひとつ溜息を落とすと、道場へと向かった。

 




─ fin ─


またまた、ちゃちゃさんに頂いてしまいました(*^^*)
2003年の暑中お見舞いイラスト「動」から書いてくださいました。
道場の床の間で冷や汗をかいていた近藤さんの冷や汗の意味はこれだったんですね。
頼りにならない先代と友達も加わって勝っちゃん受難・・・(^^;
ちゃちゃさん、ありがとうございましたm(_ _)m

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