すれ違う夏─cross roads─ /ちゃちゃさん
 


ただ強くなりたいと 過ごした夏と 
この夏の
一体何が違うというのだろう
多分 
何一つ 違わない
過ぎた時間の長さ以外は
そして 
また ひとつ 夏が通り過ぎる


──今年は蝉がうるさいなぁ。
 そう思いながら、陽射しの強い大路を、藤堂平助は西へ歩を運んでいた。
 もっとも去年の蝉の声など正確に憶えているはずも無く、もしかしたら毎年そう思っているのかもしれなかった。
 京の夏は暑く、もう五回目を数えるというのに少しも慣れない。
 かつて毎日のように歩いたこの道の行く先には、いくつかの寺がある。平助の目当てはその中のひとつだった。
 大宮通りから綾小路へ入ると目指す寺は、ごく近い。住職の性格そのままに、開け広げられた山門の傍には、公孫樹が目に痛いほどの葉を繁らせている。案内も請わず、藤堂は裏手の墓地へ回った。
 そこに、山南敬助の墓がある。
 山南敬助。単に同門、というだけでなく、身内のいない平助にとっては兄のような存在だった。
 が、山南は二年前に切腹して、果てた。藤堂が江戸へ下っている間のことで、京へ戻った藤堂は、目の前に突きつけられた事実をすぐに受け入れることができなかった。
 雨の中、山南の墓碑に触れた指先の感覚を、今も憶えている。
 何があったのか、知りたかった。けれど、他の仲間にとって、山南の死は既に過去だった。それぞれに、自分の中で決着をつけたのだろう。誰もが山南の死には口が重く、藤堂は「何故」という疑問詞を唇の端に乗せることも出来ないまま、納得できない思いを封じ込めた。
 藤堂自身も気づかぬ程の小さな溝が出来たのは、この時だったのかもしれない。

 その山南の墓の前に見覚えのある背中がある。沖田だった。
 特徴のある肩が、少し、動いた。遠目に見ても痩せた、と思わせる肩の線が、逆に出会った頃を思い出させる。
──山南さん、あんた、どうして、俺と奴をそんなに会わせたいんだ。
胸の内で苦笑するように思った。
 かつて、まだ少年、といってよい年頃だった藤堂と沖田を引き合わせたのが、山南だった。
 沖田は、縦にばかり伸びた、そんな印象を与える少年だった。もっともその印象の中には、今一つ自分の背丈、というものに不満を持っていた平助の少年らしいやっかみも含まれてはいたのだが…。
──君たちが良い友人になれたらいいと思ってね。
と、山南は言った。
 なれるだろう、とか、なりたまえ、と言わないところが、いかにも山南らしい物言いだった。

 声をかけそびれた時間はどれほどだったのだろう。きっと一瞬だったに違いない。
 背後に人の気配を察した、背中にかすかに緊張が走る。
「ひさしぶりだな。」
 藤堂は背中に向って声をかけた。
 ふっと緊張を解いた背中が、立ち上がりながら、ゆっくり振返る。
「藤堂。」
 眩しげに、ちょっと目を細めて沖田が笑った。
「よぉ。」
 平助はまっすぐ歩いて、沖田の傍らに立った。沖田の足元にあった桶に、無造作に柄杓を突込み、山南の墓碑にざばざばとかけた。
 はねた水飛沫が、夏の陽射しを受けて、瞬間、きらめく。
「相変らず、雑なヤツ。」
 飛び跳ねた水を避けるように、後ろへ下がった沖田が呆れたように言う。
「うるせーな。そんな簡単に人間変わってたまるか。」
 言いながら、平助が、柄杓では掬えぬほどになってしまった桶の水を、ざばっとひっくり返したその時、沖田の体が微かに揺れた。
 その体を慌てて、支える。
─軽い…。
この体で、今も隊務についているのか、と思った。
「悪い。」
 耳のすぐ側で沖田の声がした。
「そう思うんなら、しっかりしろよ。重いじゃねぇか。」
 が、悪いと言った沖田の手は、すぐには平助の肩から動かなかった。小さく呼吸が聞こえる。

 3月、平助を含む12名が隊を出た。その前年崩御し、孝明天皇と謚された帝の墓所を警護する御陵衛士を拝命し、表向き分派という形を取った。
 が、それが額面どおりでないことは誰よりも当事者が知っていた。いずれは決着をつけねばならない日がくるだろう。
 隊を出た者は組長、伍長をつとめていたものが多かった。隊に残ったものはその分仕事が増えただろう。
 隊を出る時、平助は沖田に体に気をつけろよ、と言い残したが、そんなことが出来る状態ではないだろう。きっと、何事もないような顔をして、隊務にはついている、それは容易に想像出来た。

「大丈夫か?」
 藤堂の問いに、沖田はバツの悪そうな笑みを刻むと、黙って頷いた。そして、転がったままの桶を拾い、柄杓を突っ込んで言った。
「お前は山南さんと積もる話しもあるだろ。俺、もう終ったから。」
くるり、と背中を向けた。
「おい、待てよ」
沖田は振返らない。
「待てったら。」
 ぐい、と肩に手をかけた。その瞬間、触れられることを避けるように、沖田の手が藤堂の手を払った。

「悪い・・、つい。」
思わぬ反応に、目を瞬いた藤堂に沖田が言った。
「いや・・。こっちこそ、悪かった。」
そう言ってしまってから、付け加えた。
「お前な、聞こえないフリすんじゃねーよ。せっかくなんだから、ちょっと話していこうぜ。」
「もう、いいのか?」
沖田の視線が山南の墓を指す。
「また、来るさ。」
こだわりのない藤堂のもの言いに、少し、沖田の表情が緩んだ。
 「それに、一雨来そうだぜ。」
 藤堂が見上げた空には、いつのかにか入道雲が広がり、一雨きそうな空模様になっている。
 試衛館で夏を過ごした頃なら、京へ来た年の夏なら、夏の日盛りの夕立は行水代りでむしろ好都合だった。井戸端へ行く手間が省ける、というものだ。けれど、今濡れるのは沖田にとってもよくないだろうが、平助とてまっぴらだった。
 つまりそれが、時間が経ったということかもしれなかった。

 がらんとした本堂へ上がり込むと、間もなく雨が降り始めた。久しぶりだから、話しをしよう、そう言ったものの、いざとなると何を話したものか戸惑うばかりで、奇妙な沈黙が二人を支配した。
 なんとなく居心地の悪さを感じて、それを振り払うように平助は、仰向けにひっくり返った。目を閉じると、激しくなった雨の音がやけに大きく聞こえる。沖田もそれに倣ったのか、空気が動いた。
「お前な、体調悪いならフラフラ出歩いてるんじゃねぇよ。俺じゃなかったら今ごろ斬られてぜ。」
 そのままの姿勢で、平助が言うと、短い沈黙の後、ポツンと沖田が言った。
「お前になら、斬られてもいい。」
 
 それは、はじめて見る沖田の弱さだった。
 突然やってくる死を受け入れる覚悟はしているつもりだ。だが、切り取られてしまった時間の中で生きるのはそれとは別物だろう。それを思うと、痛みが走るようだった。
 が、平助は挑発するように言った。
「へ、斬られてもいい?大きく出たじゃないか。いつまでも自分のほうが腕が立つと思うなよ。本気のお前にだって、今の俺なら負けないぜ。」
 とんっ、小さな音がよく磨きぬかれた板の間に響いた。
 半身を起こした沖田が強い目で藤堂を見る。
──やっぱり…。
そう思うと、藤堂はクスリと笑った。
 これだけは譲れないのだ、沖田は。そして、自分も。
 だから、今、ここにいる。
「何が可笑しい。」
藤堂の小さな笑いを見咎めるように、憮然と沖田が言う。
「お前さ、相変わらずそこんとこだけ負けず嫌いだな。」
平助は勢い良く体を起こした。
「絶対、一本取らせてくれなかっただろ。」

 山南に引き合わせられた二人は、年長者に囲まれている環境の中で、同じ生まれ年だったことも手伝って、すぐに意気投合した。
 が、道場では別だった。藤堂には、当代一流の道場で学んでいるという矜持がある。一方、日頃物事に執着しない沖田も、こと剣に関しては負けず嫌いだった。生れ年が同じ、ということも、お互いの負けられない、という気持ちに火をつけた。
 もっともいざ立ち会い、ということになると、沖田の方が一枚上手だった。この頃既に、沖田は道場主である近藤や、山南と共に、出稽古にも赴いている。にこにこと笑うと、自分よりも童顔に見える沖田から取れない一本が、藤堂には何より悔しくて、何度も道場でぶつかり合った。
 これだけは手加減出来ずに、出稽古先の門弟から恐れられる沖田も、藤堂を相手にすると、さらに容赦がない。道場にいる仲間が呆れて、二人を引き離すまで、飽きることなく向き合うことも、決して珍しいことではなかった。

「お前、しつこかったよな。もう一回、もう一回ってさ。」
古い話を持ち出すなぁ、と沖田が下を向いて、くすくす笑った。
 それから、ひとしきり江戸の頃の話しをした。
 出てくるのは、バカげた話しばかりだが、それが微かな痛みを伴う笑いを誘った。そこにある空間、過ごした時間の長さ、すべてを共有するそんな笑いは久しぶりだった。

ただ、強くなりたいとそれだけを求めて、少年から大人への端境期を過ごした。その先に何があるのかなど、考えることもなく。
 わずか数年前のことが、遥か昔のことのように遠く、懐かしかった。なんて、遠くまで来たのだろう。
 だけど、行き着く先はここじゃない。まだ、途中を歩いてる、きっと。


 強い雨は降り始めた時と同じように、急速に引いて行った。雨粒がぽつん、ぽつんと数えられるほどに、響く。雲の間から覗いた空の青は鮮やかに広がってゆく。陽が射しはじめるとたちまち地面から湯気が立ち上るように、蒸し暑さが戻って来た。蝉が、再び鳴きはじめる。
 止まっていた時間が一気に流れはじめた。
「そろそろ行くか…。」
どちらからともなく、立ち上がった。

 何も言わなくても、わかっている。
 この次出会う時は、刃を交わすその時かもしれない。
「この次会う時には、しっかり体調整えとけよ。道場でのケリつけてやるから。」
そう笑った平助に、沖田が笑いかえす。
「藤堂には負けられないなぁ。」
互いに差出した手が、ぱん、と音を立てた。

 今が盛りの夏は、ゆっくりと過ぎて行く。
 季節が巡り、あと幾度夏が訪れても、この夏は永遠に戻らない。

                               

─fin─