春祭/ちゃちゃさん
「ちゃちゃのがらくたBOX」様より



 将棋盤を見て考え込んでいた総司はふわぁっと、一つ欠伸をした。昨夜は夜間の見回りであまり眠っていない。年明けとともに少し柔らかくなった日差しが眠気を誘う。
──これを動かしたから、取られたんだよな。じゃあ、こっちを動かしたら・・・。
 総司の指先が一枚の駒を摘み上げる。
──あ、だめか・・・。
 数日前に斉藤一とした一局を思い出しながら、対抗策を練るつもりだったが、それさえ面倒になってきて畳の上に仰向けになると、思い切り手足を伸ばした。どこからか微かに梅の香りが入り込んでくる。
 このまま一眠りするか…、そう思いながら自分が眠りに沈んでいくのを自覚した時、廊下をバタバタと進んでくる足音が聞こえた。足音はまっすぐ総司のいる部屋へ向って来る。
 眠いんだ、という意思表示のつもりで、側にあった羽織を目元まで引き上げてたぬき寝入りを決め込むことにした。
「おいっ、沖田いるか…。」
 声と一緒に入ってきたのは藤堂平助だった。

──あれっ?
 当然のように羽織を剥ぐだろう、と思ったのに、予想に反して藤堂は黙っている。コト・・・という小さな音に、いやな予感がして、総司は羽織を少し下げてそっと藤堂を見た。
「あーっ?!」
 藤堂はさっきまで総司がにらんでいた将棋盤の前に座り込み、駒をちょいちょいと指先で動かしている。総司と目が合うとニッと笑った。
「おいっ、何するんだよ。せっかく、いい手思いついてたのにっ…。」
 飛び起きて総司は藤堂の手を押さえたが、後の祭りだ。

「下手な考え休むに似たりっていうだろ。」
 藤堂は笑っている。
「第一、俺が入ってきたっていうのに、たぬき寝入りなんてするからさ。」
 やはり、ばれている。
「カンベンしてくれよ。俺、昨日夜間巡察だったんだ。」
 そう言いながら、すでに総司は昼寝を諦めていた。
「で、何?」
 藤堂に用件を話すように促す。
「そうそう、来いよ。道場。鏡開き始めてるぜ。」
 そう言えば今日だった。

 年始に道場に飾った鏡餅を割って、雑煮に放り込む。
「早く、来ないと粉々になっちまうぜ。」
 新年も十日以上経つと、餅はすっかり干からびて固くなる。少々のことでは割れないが、去年は最後に原田が力任せに拳を降ろした時、それまでにすでにいくつかの塊になっていた餅は無残なほど小さくなってしまった。いつものように雑煮に放りこんだが、情けないばかりの存在感に真っ先に原田が食った気がしない・・・とこぼして、笑いを誘った。
「原田さんは巡察だろ。」
 だから、今年は大丈夫さ、と総司は笑って答えた。
「そう思うだろ?でも、俺がここへ来る時、島田さんが次は私がって言ってたからな。」
 島田の大力は隊内でも有名だ。まさか分別のある島田は力任せに叩き割るようなことはしないだろうが、それとは別に彼が思い切り力を込めたらどうなるのか、見たいという気分が総司にも藤堂にもある。
「ほら、行くぜ。」
 そう言った藤堂は既に立ち上がっている。
「あ、待てよ…、痛てっ…。」
 言いながら、立ち上がった総司の足が将棋盤を蹴飛ばした。その拍子に何枚かの駒が畳に散らばる。
「俺が動かしても、動かさなくても結果は一緒だったみたいだな。」
 もう一度座込んで、駒を拾い集める総司を見下ろしながら、すました顔をして、調子の良いことを言う藤堂に、さっきまで被ってた羽織をバサっと被せると駒を拾い終えた総司は、今度はさっと縁側から庭へ飛び降りた。
「早くしないとおいてくぞ。」
「あっ…、てめっ、待ちやがれ!」
「藤堂の分は俺が食っといてやるから。」
 心配しなくてもいい、と笑った総司の声が空に響いた。

 翌月10日、元治と改元されるこの年6月に、池田屋事件が勃発。新選組は幕末史に名を残すことになる。けれど、それはまだ未来の物語。
 今はまだ初めての春を迎えたばかりだった。


─fin─