ぽちさんが今年の八月に小樽に行かれた際に撮られた小樽花園北門商店街に並ぶのぼりの数々。
表裏合わせて全20種類で、メインは新八さんですが、ちょこちょこ釜さんも混じってます。
イベント期間は8月1日〜29日だったようですが、 折角作られたのに1ヶ月だけじゃ勿体ない〜。

(写真提供:ぽちさん)


ふろむ ぽちさん
旗の表?統一されてる側が「表」と思うのは 札幌方面から小樽駅に向かう進路方向を向いてるからなんですぅー
反対車線のほうの旗は小樽駅から札幌方面を向いてるのが 「新八の愛した街」ってほうだったので、
こっちが表なのかなー?っと
・・・と言う訳で力作の旗の一覧スタート(^^)


■表
新撰組「誠」を公開した男
永倉新八が愛した街


■ウラ1
1870年(明治三年)三十一才
新八、松前藩医杉村松柏の婿養子となり後年、「杉村義衛治備(はるのぶ)」と改名


■ウラ2
1868年 戊辰戦争(明治元年)
近藤勇 35才、板橋で刑死
北の鎖鑰(さやく)・幕臣授産を希い「蝦夷共和国」興る


■ウラ3
1869年(明治二年)蝦夷共和国軍の彰義隊・見廻組・松前藩兵ら小樽港の守護につき、龍徳寺、正法寺に分屯する
この年 土方歳三 35才 五稜郭に散る

ぽちさん
この幟の場所が新八さんの史跡案内と誠の旗が有って 一番美味しい場所になってます(笑)さすが土方さん!一番美味しい場所をとってます(笑)

■ウラ4
1876年(明治九年)三十七才
新八 板橋に新撰組の碑を建立

■ウラ5
1879年(明治十二年)四十才
新八 幌内鉄道敷設立退きのため入船町を疎開

※幌内鉄道:手宮〜札幌を走った北海道初の鉄道。室蘭か小樽か?の敷設地の選択に開拓使に出仕していた榎本も関わっているとか。

■ウラ6
1864年 新八 二十五才
沖田を助けて大活躍!
池田屋騒動 百四十年

■ウラ7
1863年 新八 二十四才
近藤勇と浪士隊に参加
「新撰組」を結成する。

■ウラ8
1854年「ペリー艦隊」箱館上陸、小樽港を測量
近代日本開国150年
この年 榎本武揚 19才 樺太、蝦夷地を巡察(新八 十五才)

■ウラ9
1839年 家老 蛎崎波響の家系
永倉新八 松前藩江戸屋敷に生まれる。

※蛎崎波響:(1764-1826)松前応挙と呼ばれた画人。松前藩主の子として生まれる。新八さんとはいとこの続柄。

■ウラ10
おもしろ 懐かし 時代屋街道
小樽は?なぞの町☆北門(ノーザンフロンティア)

ぽちさん
これは関係無い気がしつつ・・・1枚だけ撮影しないのも 気持ち悪かったので(笑) 表はちゃんと新八さんでした
あさみ
ネタ切れ起こしたんでしょうか?なぞなのはこの旗だって(^^;

■ウラ11
北の守り そのこだわりが「鳳湾樽都」を拓いた

※樽都:商都小樽の愛称
鳳湾はありがたい湾とでも思えばいいのか・・・「鳳湾樽都」は渋沢栄一と榎本武揚のやり取りで出てきた言葉だそうです。
ぽちさん
上に一応・・・榎本と書いてます
あさみ
ほい、拡大して見ると確かに左上に「榎本北○巡察地図」みたいな文句がうっすらと見えます

■ウラ12
2003年(平成十五年)
小樽市民劇場「永倉新八」公演

ぽちさん
この顔、怖いですよぅ(^^;)
あさみ
じいちゃんド迫力 。これならヤクザも十分逃げます

■ウラ13
2004年(平成十六年)没後九十年
量徳寺に「新八コーナー」特設

※量徳寺:永倉新八の菩提寺として2004.8.8に記念碑が建った。

■ウラ14
武士乃節を尽くして厭までも貫垂竹の心ろ一筋
京都守護職松平肥後守御預り 新撰組副長助勤 永倉新八

※武士乃節を尽くして-:文久3年2月に江戸を発つ永倉が両親に送った歌。残っている陣羽織の裏地にも書かれている。

■ウラ15
1994年(平成六年)八十回忌記念
「小樽幕末維新塾」発足

■ウラ16
1913年(大正二年)新八 七十四才
新聞で知った学生の要望により札幌農学校で「神道無念流」を披露

■ウラ17
1913年(大正二年)七十四才
昔は近藤勇の友達、今は小樽で楽隠居「新撰組永倉新八」小樽新聞に連載

■ウラ18
1899年(明治三十二年)六十才
新八、小樽に帰る

■ウラ19
1882年(明治十五年〜十九年)四十三才
新八「樺戸集治監」で剣術指南
以上、おつかれさまでした〜。